2005年8月取材:イラストレーター野田哲朗氏
書道家のヤマモトテルミさんとの合作で、文字とイラストによる爆発的な化学反応を起こした「武士之言霊(ブシノコトダマ)」シリーズ、そして漢字TシャツAnythingの人気商品である「サムライの別れTシャツ」や「’Anythingマスク’」シリーズのデザインを手がけている野田哲朗さん(Tシャツビジネス塾第2期グランプリ受賞)! 「幼稚園の頃から好きでした。5歳くらいですかね。母方の祖父が退職してから日本画を描いていたんですけど、そういう姿を真似したりして。」 −最初はどんな絵を描いていたんですか? 「うーん、漫画の写しが多かったですね。最初は筋肉マンだったかな。その後、小学校低学年になってからドラゴンボールとか写してましたね。ジャンプとか買うじゃないですか。それを持っていかないで、わざわざ自分でキャラクターを描いて友達にこんなキャラが出るんだよーって教えてあげてました(笑)。」 −筋肉はその時から好きなんですね(一同笑)。小学校のときはどんな感じでした? 「自分で言うのもなんですけど、スポーツ万能タイプでした。中学生のときは陸上部だったんですけど、都大会に出場したりしましたからね。」 −へえ、すごいですね。(周りを見て)いろんな種類の本がありますけど、これは資料としてのものがほとんどなんですか? 「そうですね、ほとんど本を買う目的は資料としてです。」 −路上ペインティングをしていたっていうのは? 「やってましたね。夜中の12時くらいに一人で家を出て2時間くらい地元の公園で描いてました。トイレの壁とかコンクリートの滑り台とかに。描き終わって1週間くらい経ってから見に行くんですけど、消されてるんです。市の職員さんがきれいに掃除しているんですね。描いてるときは思わなかったですけど、悪いことですからみなさんはやめましょうね。でもそれだからこそ楽しいっていうのがあるんですけど(笑)。」 −どうして路上ペインティングをしようと思ったんですか? 「高校に入ってからHIPHOPを聞くようになって、そこから影響を受けましたね。HIPHOPってそういうのあるじゃないですか、グラフィティ(路上ペインティング)アートっていうのが。ただ描いて帰ってくるだけなんですけど、楽しかったな。」 −それに関連して他にやっていたことってありますか? 「ラップですね。友達とバンドを組んでヴォーカルをやってました。20歳過ぎまでやってたんです。ラップをやってたときの自分っていうのは、ただの目立ちたがり屋の少年でしたね。今になってみれば、グラフィティっていう外で描いてたのもその一部だったと思います。見てもらいたい、って気持ちもちょっとはありましたし。それにラップやったり、グラフィティをしていることが 「はい、まずはAnythingさんからデザインを依頼されてイラストを描くっていう仕事をさせてもらってます。西村さんは分かってくれているので仕事がしやすいですね。他には知人からの伝手で出版社に紹介してもらって、小説の挿絵を描くっていうのとか。それと某大手ゲームメーカーの商品企画スケッチをしたり。」 −企画スケッチって言うは? 「こういう商品が出ますよっていう告知のためのものです。UFOキャッチャーのぬいぐるみの企画スケッチをしたときには、試作の商品が見ることができたんですけど、そのときは嬉しかったですね。あ、昔になりますけど、ネイルサロンのロゴのデザインなんかもやりました。」 −オリジナル作品を描くときのアイディアの源泉ってどんなことなんでしょう? 「そうですねぇ・・・毎日落書きをしているんで、それが作品へのヒントになることがありますね。僕はあるものを描いてもつまらないって思っていて。絵だからできることがしたいんです。ありそうだけどない、いそうだけどいないっていうこの世界観を見て欲しい。」 −(野田さんのパソコンにある作品を見て)未来を感じさせるものが多いですね。 「未来って、みんなそれぞれ想像してることはやっぱり違うと思うし、人の歩み方によっていろんな違った方向、可能性があったと思うんです。それを自分の解釈で具現化するのが楽しいんです。今3DCGってどんどんリアルに近づいてきてるんです。でもこれCGだろうなってみんな想像すると思うんですよね。でも絵っていうのは純粋にその世界観が感じられるんじゃないかって。偽者だとか本物だとかそういうことじゃなく、絵として。その分技術は必要ですけどね。」 −その世界にこめるメッセージってありますか? 「そこまで強いメッセージはないです。その人その人が感じるままに感じてくれればそれでいいと思います。自分のイメージを押し付けたりはしたくはないです。」 −なるほど。人それぞれの感じ方は違いますもんね。 「ええ。あとはいろんなキャラクターを自分で書き直すっていうのが好きなのでそこから参考にしたり。僕はアメコミが好きなのでキャラクターはアメコミからのものが多いです。」 −アメコミとの出会いはいつになりますか? 「中学生のときにカード屋さんみたいなところでサイモン=ビズレー(アメリカで有名なイラストレイター)のグロテスクなイラストカードを買ったり、アメコミの雑誌を見たりしているうちに。当時はインポート物しかなかったから高かったんですけど。それをちょこちょこ集めるようになって、好きになっていきました。」 −尊敬するイラストレイターさんというのはいますか? 「フランク=フラゼッタです。60、70年代にファンタジーアートを描いて活躍した方なんですけど、フラゼッタ自身がもうカテゴリーになってるくらいなので。フラゼッタっぽいね、なんてよく言われてます。フラゼッタを知るまでは日本でトップクラスのイラストレイター、寺田克也さんが好きでした。画集を持ってるんですけど、ぼろぼろになるまで見ましたから。フラゼッタを知ったのも寺田さんのインタビュー記事を読んでいるときでした。イラストを書き始めたころから寺田さんのことは知っていたので、今の僕のイラストにはすごく影響していると思います。」 −最後に、今後の方向性が決まっていたら教えてください。 「方向性というかは分からないですけど、いま頭の中にあるのは絵がうまくなりたいということです。そうすれば自然に世界が広がっていくと思うので。ただやりたいことがあっても実力が伴っていなかったら意味がないですからね。やっぱり実力をつけたいです。絵を描いていたら一生満足できるものって描けないと思うんですね。・・・ただそれがいいのかなって。」 「毎日書かないと落ち着かない。」 2005年 8月29日(月) 野田さんの自宅にて 取材スタッフ 爪楊枝カズマ 投稿者 anything : 2007年1月 3日 22:03 |