コラム連載:Anything誕生からのお話
★2007年10月~開始した、Anythingの原点と題してメルマガに記載させていただきました、
コラムです。こちらに転載させていただきます!(担当:西村)
最近のお客様になっていただいた方に、Anythingの原点を知っていただければと、
1999年~どんな波乱万丈の日々があったのかを、
このメルマガで数回に分けて書かせていただければと思います。
ご興味がある方は読んでみてください。
【第1回:1999年Anythingスタートのきっかけ】
まず、今回のメルマガでは 1999年の出来事について書かせていただきます…
1999年5月、会社員4年目だった私・西村は、ふと、弟(ナル)の
誕生日プレゼントに『オリジナルTシャツ』が作りたくなり、
イトーヨーカ堂大井町店でプリントゴッコを購入。
(未だにこの時、なぜTシャツを作ってあげたいと思ったのか、は不明…)
サーフィンをやっていた弟向けに、「波」という文字と英語をデザインし、
年賀状を刷る要領でTシャツの左胸にプリントを入れました。
当日、弟と川崎駅で待ち合わせし、居酒屋へ行ったのですが、
なんと…、弟ナルも、『数日前に自分で作った』という
我々の母校・広瀬小学校(広島)の校舎の写真がモノクロでプリントされた、
カッコイイ自作Tシャツを着てきていたのです…。
居酒屋でこちらの「波」Tシャツを渡しつつ、
「この偶然はすごいなあ…。一緒にいろいろなTシャツ作って、
1回フリーマーケットに出てみようや!!」
という話に。
思い立ったらすぐに行動に移さないと気がすまない私は、
「じゃあ、来月、6月にあいている会場を押さえるよ!」
と、亀戸サンストリートという小さな商業施設で行われる
フリマの会場に申し込みをしたのです。
まだ、Anythingという名も無き頃。
なんと、その第一歩となる会場での出来事が、
今後のAnything誕生へ結びついていくのです…。
(続きはまた次回に…2007年10月)
……… ……… ……… ……… ………
【第2回:初めての出店で雑誌デビュー!?】
弟へのプレゼント用に、遊び半分でTシャツを作ってからわずか3週間後…
東京・亀戸のサンストリートという商業施設内のフリーマーケット
に出店した。
寝る間を惜しんで作ったTシャツは計15枚ほど。
まだ、漢字Tシャツという言葉も無い、Anythingも無かったころの話。
「波」とか、「人間国宝」とか、こんな言葉がTシャツになっていたら
ヘン=おもしろいよなあ、というものを酒を飲みながら大笑いしながら
作った。
そんな中の1枚に「無駄飯 Fuck'n Jank Food」Tシャツがあった。
(後に、代々木で買ってくれた海外のお客さまに’Jank’ではないよ、
’Junk’だよ、と教えられ、版を作り直しました…笑。)
さて、いよいよ出店当日。急遽、仕事で都合の悪くなった弟・ナルに代わって、
当時勤めていた会社の先輩(たまたま同姓の西村ケンさん)が車を出してくれ、
二人で蒲田から亀戸まで向かった。
指定された場所にビニールシートを敷き、15枚のTシャツを並べ、
1枚1,500円で販売開始。
チラホラと、通りがかる人たちが見ていってくれる。
はずかしさと期待感が同居したあのドキドキした感じは忘れられない。
開始後15分ほどだろうか、20代半ばの男性が、何枚かじっくり見られ、
1枚を購入。確か『無神経』などの漢字が入っていたものだと思う。
おー!!本当に買ってくれたよ~!!
当時、勤めていた会社では、月に数千万という結構な売上を
担当させてもらっていた営業マンなのだが、
この場での第一号のお客さんからの1,500円はまた違った重みが感じられる。
昼過ぎ、カメラを持った男女二人組みが我々のブースに来られ、
「おもしろいTシャツですね~!こんなの見たことないです~。
雑誌の取材をしているんですが、よろしいですか??」
と声をかけてきてくれた。
メンズのファッション雑誌StreetJackのフリマ紹介コーナーで
掲載したい、という。
「昨晩、夜中に作って、今回初めて出したんですよ!」
「じゃあ、出来立てホヤホヤですね…」などと一通りお話したあと、
「このお店の名前は何ですか??」
「え??名前なんて考えていないです。」
「お二人のお名前は???」
「(どちらも)西村です、、、。」
「じゃあ’西村兄弟’にしましょう!」
いきなり初日に雑誌の取材に当たってしまったのが、
その後の波乱万丈人生スタートのきっかけになった。
結局、その日1日で8枚ものTシャツが売れた…。
2ヵ月後の発売されたStreetJackには…
「ユニークなTシャツを自分達で作っている、元気な二人組み発見。」
と紹介されていた。
これはもっと深く入り込んで行く価値があるかもしれない、
そう思った僕は、次への一歩を踏み出した…。
(続きはまた次回に…)
……… ……… ……… ……… ………
【第3回:え?路上販売で連行される?】
Tシャツを弟のプレゼントに生まれて初めて作ってからわずか半年…。
全国誌のストリートジャックの片隅に…
「自作の文字の入ったTシャツを販売する’西村兄弟’」
という記事が掲載された。
平日は忙しく会社勤めをしているサラリーマン。
毎月○千万、という売上を担当させてもらっているが、
亀戸でお客さんからいただいた「Tシャツ1枚1,500円」の
ありがたさとうれしさにはまってしまったようだ…。
弟のナルと一緒に、休日を使って月に1、2回、
関東のあらゆる場所で開催されているフリーマーケットに
自作Tシャツを持って行っては売る、という生活が続いた。
よく売れるのは、
・原宿駅から徒歩5分の代々木公園
・横浜・桜木町駅から徒歩5分みなとみらい日本丸周辺。
・埼玉スーパーアリーナ前のけやき広場
その後、人気のブランドとなる「レッドバズーカ」さんや
「ちくわぶ」さんとは、この頃、フリマで一緒によく並んで
販売していた。ちくわぶさんがダントツに良く売れていたなあ…。
僕らは普通の時で1回行って1万円程度、良く売れて2万~3万円。
その売上の半分は、終了後に弟と二人で食べに行く、
「寿司&ビール」に消えていった(笑)。
これらの場所はきちんと登録して出店しているので問題ないが、
何度か原宿・表参道の路上で販売も行った。
こちらは路上で勝手に広げて売るんだからもちろん違法。
その周辺の出店を仕切っているお兄さんがいて、そのお兄さんに
「どの場所で出したら良いですか??」
「おう、また来たの?じゃあ、そのへんで出して。
でも、3時に警察が見回りに来るからその前に片付けてくれよ。」
といった具合で、その場のルールがある。
弟ナルは一度逃げ遅れ、警察さんに、「ちょっと来て」と連れて
行かれたことも…。
ある日、横浜のみなとみらいで販売していると…若者2人組みが
「僕らもオリジナルTシャツ作って売ってるんですよ。
本格的にやりたいんなら、この工場に行くといろいろ話
聞いてもらえるよ。良かったら、この名刺あげるよ。」
と、とある台東区のTシャツ製作会社さんの名刺を渡してくれた。
今でもその2人が誰なのか、謎のまま。
当時、プリントゴッコなどで自分達で自作のTシャツを作ることしか
知らなかった僕が、本格的にTシャツ製作に入るきっかけになったのが
その1枚の名刺…。
早速、翌週、その名刺の住所を土曜の休みの日に訪ねてみることにした…。
そこで出会った社長さんが…。
……… ……… ……… ……… ………
【第4回:偶然の出会いの連続から…】
知らない人に横浜のフリーマーケットでもらった1枚の名刺…。
その名刺の東京・台東区の住所を訪ね、会社が休みの土曜日、
Tシャツ制作会社さんを訪問してみた。
大きなマンションの2階の1室。
「すみません…、こちらでTシャツを作っていただけると聞いて
来たのですが…。」
「あ、そうですか、じゃあ中に入って。」
出て来られたのは、父親くらいの年齢の社長さん。
早速、これから作って行きたい漢字Tシャツのアイデア集を見せる。
「君はおもしろいことを考えるねえ。業界について、いろいろ教えて
やるよ。」
生地のこと、プリントのこと、衿についているタグは「織ネーム」と
呼ぶということ…など、
この突然やってきたど素人の若僧に、親身になって教えてくださる。
「なんだかやる気はありそうで面白そうな奴だ」と思っていただけたのか?
「定期的に勉強に来ていいぞ、いろいろ教えてやるから。」
その社長さんのところには、実際にその後1年間、毎月のように通い、
様々なことを教わった。
行くと、
「今度来るときにって貯めておいたんだ。」
と大量のコピーを渡される。
中身は、Tシャツに関する内容が書かれた様々な雑誌の記事。
忙しい人なのに、なぜこんなことまでしてくれるんだ…
不思議で仕方なかった。
それた大量の宿題を読みながら、勉強する日が楽しくて仕方ない。
「じゃあ、早速、この2種類を制作お願いします。」
昨日までのプリントゴッコ生活から1ランクアップ!
正式に工場に発注し、制作してもらったのは
・無駄飯Tシャツ 50枚
・龍馬Tシャツ 50枚
合計 100枚だった。
2週間後、自宅に大きなダンボール2箱で届いた本格Tシャツ!
うれしいのもつかの間
「おー、これはしっかり売らないと大変だ…」
という不安がやってくる。当然、部屋もますます狭くなってるし…。
そんな中、いつも売りに行っていた「代々木公園フリーマーケット」で
Tシャツ&アパレル会社をやっているというお姉さんに出会う。
「あんた達、おもしろいことやってるね、ワタシ、仲間とTシャツの会社
やってるから、終わって見にきたら…?」
徒歩5分くらいのところに事務所はあり、水鉄砲なんかが直に縫い付けられた
ユニークなTシャツがいろいろ飾ってある。
「これ、どんなとこで売っていらっしゃるんですか??」
「そうね、全国のセレクトショップに卸してもいるけど、やっぱり
数が売れるのは雑誌の通販だよ。
SmaetとかCutieとか、宝島社ってあるでしょ、そこがやってんのよ…。」
「へ~、そんな世界があるんですか…。」
「良かったら売り込みに行ってみたらいいじゃない?」
「いえいえ、まだ僕らには…。。。」
怖い、それは怖くてとてもじゃないが出来ない、しかも、ただの
素人がそんなことしちゃいけないでしょう……などと、
勝手にブレーキをかけている自分がいる。。。
「いろいろ教えてもらいありがとうございました!」
数日じっくり考えた後、ダメもとで、天下の宝島社さんの通販に、
自分たちのTシャツを売り込みに行くことにした。
ただし、持ち駒は「無駄飯」と「龍馬」のみ…ヨワ~笑。
西村和弘27歳、いよいよ天下の宝島社さんを訪問することに決めた…。
(続きはまた次回に…)
……… ……… ……… ……… ………
【第5回!大手出版社への営業活動…そして全国デビュー…】
はじめて正式に工場へお願いし、作った無駄飯Tシャツと龍馬Tシャツ。
その2つの歩兵の駒しか持っていないにも関わらず、代々木公園で出会った
お姉さんが教えてくれた、天下の「宝島社」へ営業を行うことを決意した。
宝島社から出ている、ファッション誌’Smart’。その中に封入されている、
Tシャツなどの通販ミニ冊子を手に取り、
裏面に書いてある「宝島ワンダーネット」さんという会社へ
ビクビクしながら電話…。
「す、すみません、、、漢字Tシャツを作っているAnythingなんですが…
ほかには無い切り口の商品なんで、一度ぜひ見てもらえませんか?」
「あ、そうですか、、、掲載の競争率は高いんで、どうなるか分かりませんが
まあ、一度来てみてください。」
1週間後、勤めていた会社を休んで(ホントはいけないんだけど…^-^;)、
四ッ谷駅から徒歩10分のところにある、宝島社さんへ向かう。
そうそう、その前に、何を着ていくか、だ。スーツなのか、普段着なのか???
前の会社では100%スーツ。普段着と言っても、服に全然興味ない僕にとって
(っていいながら、こんな商売するな、って感じですが…)
何を着ていっていいのか分からない。高校時代の、隣の女子高との
はじめての合コン前状態。
とりあえず初対面、失礼のないように衿の付いたシャツを着ていこう。
着いてみると、きれいなオフィスビルの中にあった!
担当者の方、周りの編集の方、商談に来ているほかの業者さんなどなど、
みーんなTシャツにGパン。
あー、そういう世界なのね…。。。
早速、商談を始める。まずは見よう見まねでパワーポイントで作った
カタログを見せ、「こんな漢字Tシャツのブランドなんです…。」
商談自体は、普段の仕事(食品営業マン)で、バイヤーの皆さんに
たっぷり’かわいがり’を受けているから平気!
特に一番人気だった、白にオレンジのプリントの
「無駄飯Tシャツ(99年バージョン)」
を見せたところ、
「これは面白いし、かわいいですね~。確かに今のうちの通販では
無いラインナップだなあ。」
という反応。
「採用したらFAXで連絡しますから、FAX番号教えてください。」
あ、そうなんだ、FAXも必要なんだね、、、、当時、自宅にFAXなど無く、
「あとでFAX番号、連絡させていただきます!」
「了解です、あと、この無駄飯Tシャツだけで良いですから、
商品申請書も出しておいてくださいね。」
と、人生で初の、Anythingとしての商談が緊張の中、終了した。
その間、30分くらいだったか…。
その後、広島の姉が、
「そんなことになっているんなら、買って送ってあげるよ。」
と、電話兼FAX機をプレゼントしてくれた。ありがとう、姉ちゃん…涙。
さてさて、その2~3週間後、自宅に帰るとFAXが1枚!
・採用商品 無駄飯Tシャツ 2900円
うぉー、2000年6月、ついにこの日が来たか!!
弟と夜中にひっそりとプリントゴッコで無駄飯Tシャツを作ってから丸1年、
ついに全国誌でデビューすることとなった。
うれしさと同時に、後には引けないなあ、
いっちょチャレンジしてみるか、イコール、会社をやめて…。。。
と思い始めてきた。
まだまだぜーんぜんTシャツでやっていけるなんて目処も立っていない、
見込みが無さ過ぎる…、
だけどチャレンジしてみたい、
その思いが、毎日に営業車の中で日に日に増してきて、、、
ついに、上司のAさんに、退職を告げることにした。
Anythingが本格的に産声をあげる日がやってきた。
(続きはまた次回に…)
投稿者 anything : 2007年1月13日 13:57
« 前の記事 |
Home
| 次の記事 »
|