2005年9月取材:バリ島Tシャツショップ経営 バルバングン 田中氏
「もうこれは確信を持って言えるんですけど… 旅行好きだった日本の大学生が、コネも人脈もないインドネシア・バリ島に渡り、Tシャツショップをオープン…、ブランド名はBarubangun バルバングン。 田中氏がデザインし、現地の職人さんたちが一点一点手で作っていくバティック染めの逸品。 - 無事、帰国、おめでとう!かんぱーい 「かんぱーい、あーうまい!!久々の日本のビールだなあ!!バリからの帰りに、タイをゆっくり回って帰ってきたばかりなんですよ。」 - そうですか~、田中さんは今は、バリ島でTシャツ屋さんを営んでるんですが、以前、バックパーカーで世界を周っていたんですよね?? 「最初は、オーストラリアに半年いたんです。その後、帰国して、お金貯めて、再出発しました。 - なぜバリにまた行ったんですか? 「やっぱりいろんな国に行ったけど、バリが一番だったんですよね。 - クタはみんな観光で行くところだよね? 「そう、でもバリじゃなく、ウブド、芸術の街なんですけど、そこに惚れ込んでしまいましてねえ~ - 現地の人って? 「マックをやっているおじさんですね。」 - マックってマクドナルド?? 「そうなんですよ、たまたま出会って、ウブドの話を聞いたんです。 - 話は戻りますけど、最初オーストラリアにいたっていうのは? 「バックパッカーの旅の前に、オーストラリア半年でワーホリ(ワーキングホリデー)してました。」 - ワーホリって仕事してたの? 「そう、オーストラリアの農場で働いたり、現地のカメラマンのアシスタントをしたりして生活費を稼いでたんです。それから、アジアを周ろうと思いました。それがバックパッカーのきっかけですね。」 - オーストラリアで働いてたのは何歳のころ? 「:21~22歳のころですね。大学生のころです。史学科に通ってたんですよ。 - えー、今のバリ島の田中さんからは想像できないね~(笑) 「幕末の人たちじゃないけど、何か自分もやってやりたいなあ、と思って。 - なんで建設現場を仕事場として選んだの?? 「なんでかな~?でも、やっぱり人生、苦労して生きたいじゃないですか。」 - 苦労して生きたい?? 「やっぱり、その方がいいじゃないですか。大変だけど、お金ももらえて、カラダも鍛えられて、いい仕事でしたよ。」 - それでオーストラリアに半年いて、日本に帰ってきて…。それでまた日本を飛び出すんだよね?帰ってきた時には何をしてたの? 「また、建築現場で仕事して、お金稼いでましたね。建築現場のほかにも、飛行機のペイントを落とす仕事もしてました。これも大変だけど、楽しかったなあ~ - それで十分、稼いだと…。 「そうです、海外周るんだったらそんなにお金いらないですし。でもバリじゃなくて、最初は半年行ってたオーストラリアにまた行って、ラウンドって言われるオーストラリア大陸1周をしようと思ってたんですよ。」 - でも、なぜオーストラリアじゃなくて、バリに行ったの?? 「それが、人生の大きなきっかけになったんですけど、荷揚のバイトしていた時の先輩の方に、海外に行くなら、って一冊の本をもらったんですよ。 - へ~、その先輩にも興味があるね。 「そうそう、その人も子供の頃、親の仕事の関係で世界を転々としていた方なんです。」 - その方に、本をプレゼントされたと…。 「本自体は、オーストラリアでお店を開業した人の話なんですよ。本屋さんをやって、いろんなアーティストが集まって…。 - ピン!と来たんですね? 「そう、ぜひ行きたいなあ、と思って。バリに行って、その後アジアを回ってやろうと。それで、バリのウブドに行ったらハマってしまって。」 - どうしてウブドなんだろう? 「しっくり来るんですよね~。バリ島のウブドの雰囲気は、観光ではなく’住める’街なんですよ、僕にとって。」 - ウブドって芸術の街なんだよね? 「そう、クタ(バリ島の有名な観光地)とも、他のアジアの国々とも違う…。小さな街なんですけどね。そこで新しいスタートを始めたんです。」 - その後、バティックTシャツを作ることになると思うんだけど、それは何がきっかけだったの? 「もともとTシャツは好きだったんですが、ウブドで暮らしていくには、何かこの街で作って暮らせたらいいなあ、と。そこで自営業をしたいなあ…と。3年前ですね。」 - ’自営業’をしたかったんだんだ? 「そう、自営業をしたかったんです。ネパールにいるときにも現地の雑貨を日本に売る仕事もしてたんですが。 - へ~それも意外だなあ…何で自営業にこだわるの? 「それは自分の足で走っていたい、って気持ちが強いんですよ。家がサラリーマン家庭っていうのもあると思うけど、その反発か、何か自分の力で生きて行きたいんですよね。 - なるほど。 「たとえ会社員で、そこを外れても、自分で生きて行きたいっていう。 - それからバティックを作るようになったの?専門的な技術がいるものでしょ? 「そう、大変なことだけど、でも楽しいんですよね。バティック職人さんの下について、必死で勉強したんです。月謝払いながら。」 - やっぱり努力してるなあ… 「家に帰っても繰り返し繰り返し、復習して。それでやっと、バティックの基本を知って、ようやく見栄えのするTシャツが出来るようになったなあ。 - 今までで一番の作品は何ですか? 「息吹!もう、これが一番ですね。オーストラリアのアボリジニーの楽器の有名な奏者がバリに来て、ライブを見に行ったんですけど、それに感激して。そのイメージを書き殴ったら、出来たんです。あれが一番ですね。イメージをTシャツに、ゼロから1にしたのも初めてでしたし。」 - そうですか~、そこでまた成長したんですね… 「そうですよ、最初は真っ白の大きな生地ですからね。そこに蝋(ろう)をのせて、染めて、蝋(ろう)を取って、縫い子さんが縫ってっていう、大変な作業なんです。
- 最後に、質問!3年後には何をやってますか? 「もうこれは確信を持って言えるんですけど、って言っても、最近タイを回りつつ確信に変わったんですけど、3年後もバリ島のウブドでTシャツ屋をやってますね、確実に。 - 素晴らしいなあ、ありがとうございました。 「こちらこそ、かんぱーい!!」 (インタビュー後記) 「やっぱり人生、苦労して生きたいじゃないですか。」 ★取材スタッフ 西村(右) 投稿者 anything : 2007年1月 4日 21:12 |