さて、安土・桃山時代に入り
戦乱が終わって庶民の生活も変わりはじめました。
応仁の乱により
京都は荒廃してしまったのをきっかけに、
公家などの文化人は地方の大名を頼るようになりました。
地方の武士たちもまた、
中央の文化に憧れを持っていたので積極的に迎え入れたようです。
そして海外との貿易も相成って
各地方都市は発展していきました。
お金が生まれ、仕事があるとなると出てきたのは奉公人。
農民などの子どもは商家に奉公に出されるようになりました。
この時に、子どもたちは赤い前掛けをしていったという説もあります。
お地蔵さんが赤い前掛けをしているのもこの辺りにヒントがあるのかもしれません。
元はといえば、汚れ防止の前掛け。
単に労働着としても商売人には必要だったのだと思います。
だから、昔ながらの酒蔵やお醤油屋さんなどに
今でも前掛け文化が根付いているんですね。