綿100%で織る前掛け紐(平織)は、としっかり丈夫な出来で、腰をしっかり締めるため
'気持ちが引き締まる'と同時に、「重たいものを持つ時に腰を守ってくれる」
「付けていると腰が痛くなりにくい」という、古くからの言い伝えがあります。
酒屋さん、お米屋さん、など重たいものを持つ職業の仕事人たちに使われてきた日本の前掛け。
果たしてそれは本当なのか?それとも単なる古くからの'迷信'にすぎないのか?
それは専門家の先生に聞くしかない!と、東京・調布市で『いしざか整骨院』を営む、
柔道整復師・石坂進先生に、私、前掛けプロデューサー潮田(うしおだ)がお話を聞きに行ってまいりました!
Q:早速ですが、よろしくお願いします!
前掛けを絞める事によって「重たいものを持っても腰が悪くならない」「腰を守ってくれる」など、
昔から頻繁に聞くのですが、実際に先生から見てどんな効果が期待できますか?
石坂先生:結論から言うと、前掛けを締めると、腹圧をかけることになりますので、昔の人が「重い物を持つときの腰痛予防に役立つ」というのは正解と言えますね。
腸骨を絞める事によって腰が締まり、腹圧がかかる。それによって筋肉が起きて「腰の関節が安定」する。そういう部分で、前掛けは腰にいいと思います。
Q:なるほど。効果的な前掛けの絞め方を教えてもらっていいですか?
石坂先生:絞め方については、まずは、位置ですね。腸骨という骨盤の上のところですね。男性ですと、ちょうど「ベルト」のあたりです。
ウエストの所の骨をグッと締めてください。一番出っ張っているいわゆる腰骨の上の位置です。
Q:骨盤を締めるのかと思っていましたが、思っていたよりも、位置は上なんですね!
石坂先生:そうですね。もうちょっと下の'骨盤(腸骨よりも3~4㎝下:指2本くらい下)'を締めるやり方もありまして、それも効果あります。
例えば、産後の人とかは骨盤の位置をグッと締めて家事などされてもいいでしょう。骨盤が締まれば股関節も安定しますので。
ほぼベルトと同じ腸骨を締めてもいいし、骨盤(腸骨よりも3~4㎝下の所)でもいいし。目的に応じて2通りの位置があります。
Q:絞め方の位置は2通りあるんですね、分かりました。その他ポイントはありますか?
石坂先生:息をしっかり吸って、軽く、少しだけ吐いたときに絞めること。片や'骨盤ベルト'は吸って、吐ききったときに絞めるのが効果的ですが
前掛けはそこまでやらなくてもいいです。吸って軽〜く吐いて絞めるといいでしょう。あまり腹圧をかけすぎてしまうと用途が違ってきますので。
あとは基本的なことですが、後ろから前に回した時に前でしっかり結んでください。
Q:分かりました!息を吸った後に軽く吐いて締めるんですね!!!
石坂先生:もう一度まとめますと、腸骨のところぎりぎりに引っ掛けるか、骨盤(腸骨より3~4㎝下)に、吸って、軽く吐いてぐるっと回し、前で結ぶ。これがポイントです。
Q:ちまたで良く聞く「骨盤ベルト」との違いは?
石坂先生:骨盤ベルトは、締めたい場所によって形や種類も様々ですが、前掛けなら、それ一つで、絞める位置をかえるだけで、違った効果が得られますね。
あと、骨盤ベルトと違って、付けていても蒸れないのがいいですね。
それにしても昔の人は良く考えましたね。江戸時代から続く、という前掛けは理にかなっていますよ。
Q:本日はありがとうございました!!
石坂先生:いえいえ。どうも。
ということで、今日学んだポイント3つ!
1、締める位置は「ベルト」あたり!腸骨(ちょうこつ)という出っ張った腰骨あたりを締める
2、締めるときには、息を吸った状態で(少し吐きながら)前でグッと締める
3、(とくに産後の)女性は、腸骨よりやや下の「骨盤」を締めても効果あり!
ということで、「腰の負担を軽減してくれる」は本当のようです...^^
前掛けってやっぱり昔からの人たちの知恵が詰まっていたんですね~!!
*注:もちろん個人差があるでしょうし、腰痛が前掛けしていると治る、などと言うことはありませんのでお間違いの無いよう!
(体験レポート:前掛け責任者 潮田)
今回お話をお伺いしたのは、柔道整復師・石坂先生
先生の医院は東京・調布市、調布駅から徒歩12分、スーパーマルエツの隣にあります。
腰、首などの治療が専門、とのことですので、訪ねてみてください。
■いしざか整骨院
調布市調布ヶ丘 1-18-76 アンバサダー調布 1階(京王線調布駅から徒歩12分)
TEL 042-497-6622
定休日 日曜・祝日
営業時間 月~金曜日 午前8:30~12:30 午後3:00~7:30
土曜日 午前8:30~2:00
『一号』前掛け、復活ものがたり
1960年代の高度成長を経て、1970年代から80年代にかけて、日本のものづくりは大きな転換期を迎えます。
日本の製造工場は「はやく」「やすく」「大量に」「均一に」の4原則で製造を続けていましたが、
その頃から繊維産業をはじめとする様々なものづくり産業が中国など海外へ製造をシフトし、
日本の技術を守り続けることが難しくなっていきました。
「失われた40年」という言われ方もしますが、技術、人の継承が出来なくなっているのが現状です。
日本の前掛けもそのような大きな歴史の流れから、
30~40年前を境に、次第に「生地」が変わっていきます。
前掛け業界での呼び方として、「1号」→「2号」→「3号」と言う通称があるのですが、
順に次第に前掛け帆布の糸、織りが変わり、結果生地の厚さも変わっていきました。
そんな中、我々エニシングとしても、一度、前掛けの原点、に戻った'一号前掛け'を作ることで
次の新しい未来が見えてくるのでは、との想いが常々ありました。
そこで、昨年末から、愛知・豊橋で前掛けの'織り'の最後の一人となっている我々の前掛けの師匠である芳賀さんと共に
「40年前に作られていた'1号'の厚い生地、1号の前掛けをもう一度復活させよう!」
と、試織を行い、40年前当時の風合い、厚くてやわらかい生地がついに完成しました。
(2011年10月より、正式に販売開始できる運びとなります。)
4番手の、非常に太い、普通のアパレルでは使われず、工業用のベルトなどに使われるほど
丈夫で極太の糸を使用し、
前掛けの「生地の強さ」「丈夫さ」を前面に出しながら、
かつ「やわらかく」「肌触りがやさしい」そして「軽い」、
まさに「日本的」な風合いの帆布生地が完成したのです。!」
紡績、織り、染めもすべて愛知・豊橋をはじめ国内で行っていますので、
まさに「日本の生地」と言えるでしょう。
今後は我々エニシングの使命として、豊橋で作られた前掛けの生地を世界へ
自信を持って販売していきます。
~弊社西村より:エニシングの「1号前掛け」のこだわり~
「前掛け生地の織り職人・芳賀さんと共に自信を持って紹介できる生地が完成しました。
40年前に作られていた時の厚みを再現し、ぶ厚く丈夫で、かつ柔らかい生地です。
使っていただければいただくほど生地も体の形に馴染んできますので、ぜひ長い時間ご愛用ください。
自社、ご自身の歴史と共に、前掛けも成長、経年変化していきます。
まさに'生きている地'、生地になっています。(Anything 西村)」
●愛知県豊橋前掛け織り工場
日本には、次の時代へ、守り、伝えていかなければならない大切なものがたくさんあります。
それらを実現するには、温故知新、一度原点に立ち返り、本物、の商品づくりを行うことから見えてくるのでは、
と感じます。
試行錯誤を続けながら、Anything(縁+ing)の大事な役割として、
これからも我々の道を進んでいきます。
前掛けエニシング 西村
■豊田と前掛けの関係を探り、日本のものづくりの原点を知る旅
2ヶ月後のアメリカでの展示会を前に、今年の展示発表の打ち合わせを兼ねて、前掛けの産地・豊橋を訪問し、豊田(TOYOTA)の創始者「豊田佐吉」記念館を訪問しました。
きっかけは、前掛けを織ってもらっている芳賀さんの工場の機械(約60年前の織機がそのまま動いています)に、「豊田式自動織機」と記載されていたこと。
(そのほかにも鈴木:こちらも自動車メーカーになったSuzukiの前身です:などの織機もあります...。)
かねてから、芳賀さんに「もともと織機のメーカーである、豊田と前掛けは、古くからのつながりがあるんだ」と教わっていたのですが、この機会に、豊橋帆前掛地織振興会の皆様と、豊田佐吉さんの生家にある、記念館を訪問する運びとなりました。
愛知県豊橋から車で1時間弱、豊橋のすぐお隣は静岡県湖西市。
その湖西に豊田の創始者・豊田佐吉さんの生家が残っており、現在は見学できる記念館になっています。
昨年のアメリカ展示会メンバー、杉江会長、糸の博士・浅井さん、織りのプロ・芳賀さんと訪問させていただきました。
ご覧の通り、佐吉氏の肩書は「発明王」となっています。てっきり偉大な「経営者」だと思い込んでいた私は、生い立ちを知り、「発明家」であったことが驚きでした。明治維新の1年前(1867年)に御生れになっていますので、まさに、新しい日本、明治を生き抜いた方なんですね。
実際に歴史を拝見すると、家庭内でお母さんが夜中、機織り(はたおり)をしている、その苦労をなんとか軽減してあげたい、との想いから、もっと効率の良い織機の発明を手掛けます。
何十年かけて改良改良を重ねるその過程は、想像を絶する苦労が多々あったようです。
改めて感じたのは、今の便利な世の中も、佐吉さんのような、一個人のピュアな想いからスタートし、結果「発明家」と言われる人たちがいたからこそ。行動を起こし、諦めずに形を残してくれたからこそですよね。
こちらが豊田の原点とも言える「G型織機」です。(許可を得て撮影させていただきました)
1924年(大正13年)の発明ですから、57歳の時にG型自動織機を作られたのですね。発明家を志してから40年、ですよ。A型、B型と改良をし続けて、のG型です。
その後、5年後の1929年、当時世界最高の織機と評価され、イギリスの巨大メーカー・プラット社に織機の特許を譲渡し、自動車ビジネスに進出。翌年、お亡くなりになります。
こちらが佐吉さんの経営の考えをまとめた「豊田綱領」です。今の時代に特に大切なことばかりですので、改めてここに転記させてもらいます。じーっくり1つずつ読んでみてください。
一、上下一致、至誠業務に服し産業報国の実を挙ぐべし
一、研究と創造に心を致し常に時流に先んずべし
一、華美を戒め質実剛健たるべし
一、温情友愛の精神を発揮し家庭的美風を作興すべし
一、神仏を尊崇し報恩感謝の生活を為すべし
特に私がジーンと心に染みたのが、「温情友愛の精神を発揮し家庭的美風を作興すべし」
家庭的な美風、ですよ!Anythingもこうありたい...と思っています。
この5つの言葉は、アメリカニューヨークのトークショーでもご紹介し、現地の皆さんに大きな反響を呼びました。
◎見学終了後、豊橋にて
見学終了後は、豊橋に戻り、歴史ある糸、生地の勉強をさせてもらいました。
写真は、帆前掛振興会会長の杉江氏。約50年くらい前の生地について教えていただいています。
こちらは糸の博士・浅井氏に、古い生地の糸に何が使われていたか、レクチャーを受けているところ。
以前もご紹介した、手つむぎに近い「ガラ紡」の糸をどのように使っていたのか、繊維1本1本を調べています。
私は教わるばかりですが、そんな先人達から教わる日本のモノ作りの歴史のおもしろさ、すばらしさ、を現代の皆さんに少しでも知ってもらう、そんな役割が出来たら、と常々思っています。
こちらは芳賀さんの工場で、今も実際にエニシング前掛けを織ってもらっている「豊田式自動織機」。
いろいろと調べていただいた結果、どうやらこちらの機械は昭和24年ごろに作られたもの、とのことです。
明治~大正にかけて織機の発明に生涯をささげた、豊田佐吉氏の発明の流れを汲む歴史ある機械で、
今日も'日本の仕事着'前掛けは織られています。
(担当:西村 2010年)
出版社「双葉社」様より出版されている、
平成の大ベストセラーといわれる書き下ろし長編時代小説「居眠り磐音 江戸双紙」。
江戸時代の東京の深川を舞台にした佐伯泰英先生の小説です。
その「居眠り磐音 江戸双紙」1000万部突破記念愛読者プレゼントとして、出版元の双葉社様より
「前掛けをリメイクしたかばんを作りたい」とご相談を頂いたのが、約1年前にさかのぼります。
双葉社さまが今回希望される商品のポイントが...
「江戸時代から残っていたような独特の風合いの前掛けを、かばんにしたい」
古くから残る「蔵」から江戸時代の前掛けが出てきたような、前掛けの表面に、経年変化した
独特の風合いを出してほしい、とのご希望。
多くの読者様が本当に喜んでくださる、他にはない、とっておきの純国産の商品を創りたい、
というご担当者の想いがひしひしと伝わってきました。
我々エニシングも、安定してそのような風合いを出す染めは初めての経験でしたので、
ご期待に添える前掛けが果たして出来るのか、正直、お話しいただいた当初はかなり不安でした^^;
しかし、これは我々にとっても研究し甲斐のあるテーマだ、と感じ、開発をスタートしました。
「染め」と「洗い」の工程を何度か繰り返し、江戸時代から残っていた前掛け、という風合いを
いかに出していくか、染め職人さんと、何度も何度も、何十回と試作を繰り返しました。
その結果、約1年かけてやっと完成しました。
「居眠り磐音 江戸双紙」江戸前掛けかばん
読者プレゼントですので、もちろん非売品です。(*読者プレゼントの応募は、すでに締め切られています)
題字:岡澤慶秀氏
イラストレーション:浅妻健司氏
バッグデザイン:日下潤一氏+長田年伸氏
当選された読者の方々から、双葉社様へ喜びのお手紙、メールなどが続々と届いているとのことです。
本当に、良いお仕事を一緒にさせていただいたと、スタッフ一同感謝しています。
●「居眠り磐音 江戸双紙」公式サイトはこちらです
http://inemuriiwane.jp/
(担当:西村)
■愛知県豊橋の帆前掛地織振興会様と、
60年ぶりに海を渡る「'ガラ紡'前掛け」復刻(2009年)
ガラ紡(がらぼう)という糸・テキスタイルの名前を聞いたことはありますか?
私がガラ紡の前掛けに出会ったのは、今から4~5年前。愛知県豊橋の前掛け工場で初めて拝見し、
その'肌触り''やさしさ'に心を奪われました^^;
たとえて言うと、母体に包まれていたような感じ?でしょうか。
ガラガラと音を立てて木綿の入った筒がまわり、下から上へ、「糸」を紡いでいくことから、
「ガラ紡」と呼ばれています。
その後、我々の会社のある東京・小金井の「繊維博物館」にも機械が残っていることを知り、
豊橋在住のガラ紡の第一人者、先生でもある浅井さんたち一向と訪問させていただきました。
(*ガラ紡についての簡単な説明です..
もともとはガラ紡績機の略で、こちらの写真のような糸を紡ぐ機械のことを言います。そのガラ紡績機で紡がれた「糸」を「ガラ紡(がらぼう)」と呼んでいます。
1873年、明治初期に開発され、愛知県の豊橋(三河地区)を中心に発達して来ました。当時、動力は主に'水車'でした。
浅井様の話では、終戦直後、豊橋で大活躍したのですが、その理由が、通常の紡績機はおもに'鉄製'。第2次大戦時は、兵器に利用するため、鉄を国に差し出さなければならず、そのため紡績機も豊橋から無くなっていたとのこと。
そこで、木製でつくった'ガラ紡績機'が大活躍したとのことです。)
そんな歴史の深い、まさに「日本の糸」と呼べる'ガラ紡'。
手紡ぎ(てつむぎ)に近い、やさしい糸なのです。
ただし、ひとつ、大きな問題が...
現代の機械紡績と比べると、格段に効率が落ちるのです。
戦後、高度成長期に求められたモノづくりは、「同じものを」「大量に」「早く」「安く」作る、という4原則。
そのため、歴史の流れの中でガラ紡も姿を消し、現在はほとんど見られなくなっています。
一方で、現在のモノが溢れ、人々の心の中に「今までの規格大量生産」に疑問を感じ、
より人間として大切なものをもう一度見つめよう、という流れのなかで、
効率は悪いですが、人として、本能的に'これはいい!'と感じていただけるこの生地に、わずかな望みはあります。
リサイクルの綿を使えること、環境にもやさしいことなどもあり、我々としてはぜひ再度脚光を浴びる日を、と思っております。
さてさて前置きがかなり長くなりましたが、今回、60年ぶりにアメリカへ渡った「ガラ紡 一番前掛け」。
きっかけは、2009年6月。
私、西村が、ニューヨークでのイベントを間近に控え、共にNYへ渡り、現地で前掛けトークショーを行う、
愛知県豊橋市の前掛け職人さん3名を訪ねたことに始まります。
NYで展示するための、50年~60年前に作られた、ガラ紡の歴史ある前掛けを数多く見せていただいたのですが、
その中で一際異彩を放つ前掛けが!
(にっこり笑顔の潮田の隣にある、ちらがその前掛け。現在は額に入れて大切に保管しております。)
良く見ると
「ICHIBAN COOK-SAN」
と書かれているではありませんか。
「この前掛けはなんですか?」
「そうそう、それが、60年前に、日本の商社を通じて、アメリカへ輸出されていた前掛けなんだよ!
今回、倉庫の整理をしていたら、2枚ほど出てきたんだ。
当時はかなりの数が輸出されてたよ。向こうのおみやげ屋さんなんかでも売られていたんだ。」
COOK-SUN(太陽) というどこかのメーカーの前掛けかと思った僕は、
「この文字はなんて書いてあるんですか?」
「それはもう、そのまま'コックさん(COOK-SAN)'って書いてあるんだよ。」
「おー、それは面白いですね!ぜひ、今回、この前掛けを60年ぶりにアメリカへ復元して持って行きましょうよ!」
~もとは、なんと、水車で動いていたガラ紡績機~
「どうせやるなら、徹底的に当時を再現しよう。
数十年前に織られた'ガラ紡'(という明治初期に開発された
日本の紡績機)で作られた生地を使って、本染め前掛けを復元しよう!」
ということで、「ガラ紡」の糸で織られた生地を使って、60年前に近い前掛けを復元することになりました。
早速、2009年7月~、今回のガラ紡'一番'前掛けプロジェクトがスタートです。
~頬ずりしたくなるほどやさしい、ガラ紡の生地~
まず、約40年前に織られたと思われる生地を探し出すことから
スタート。豊橋に数十枚だけ残っていた当時の「ガラ紡」生地を分けてもらえることになりました。
現在の機械紡績では出せない、独特の手紡ぎに近い糸の太さ。
この柔らかさと肌ざわりの良さは、最高です!東京・小金井のエニシングショールームに、
50枚だけ作った前掛けの残りがありますので、ご来店ください。
人間としての本能をくすぐられる、やさしい生地、体にもフィットする生地です。
同時に、我々のAnything事務所では、両面を別々の柄に染めて作れればと、
「表の一番コックさん」の柄を'過去の歴史'、裏側を'これからの未来'と位置づけ、デザイン製作に
入りました。
それから2か月、帆前掛振興会の杉江会長、芳賀さんに多大なるご協力をいただき、
50枚のガラ紡'一番前掛け'が完成しました。こちらが表面です。
こちらが裏面。デザイン担当・潮田ヒロアキのもと、出来あがった渾身のデザインが
「世界の仕事着'志(こころざし)'前掛け」。
世界に'日本の仕事着 前掛け'を発信する際の、最高の作品に仕上がりました!
最近ではほとんど見られなくなった裏表異なる柄の本染めもすばらしく仕上がりました。
最後に、今回のプロジェクトメンバーの皆様と、NYで記念撮影!
60年ぶりに、ガラ紡'一番前掛け'が海を渡りました!!!
(担当:西村)