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「旅〜eternal journey〜」
カリフォルニアの細道


漢字TシャツAnythingの長〜い、終わりの無い旅はここから始まった…。
大学3年生当時、アメリカを一年間「旅」&「滞在」した時の超私的な波乱万丈滞在記です。

「過去の記憶」と「当時の手帳」を辿りながら書いていますので、何かと読みにくいと思いますが、
ご了承くださいませ。(Anything 西村) *毎月1回計5回に分けて掲載させていただく予定です。

一人旅って面白いよ!


◆第1回:カリフォルニア上陸編(03年6月掲載)
◆第2回:波乱万丈。放浪の1週間編(03年7月掲載)
◆第3回:「こんなんで良いの?ドライバーズライセンス取得編」(03年8月掲載)
◆第4回:予定「殺される!?ニューヨーク一人旅編」(03年9月掲載)
◆第5回:「帰国へ。結局何か見つかったの?編」(03年10月掲載)


◆第1回:カリフォルニア上陸編(03年6月掲載)

「こんな生活する為に東京に出て来たんじゃないけどなあ〜。」
飲み会、サークル、バイト三昧の悶々とした大学生活に嫌気が差し、何とか将来への道を見つけたいと「地球の歩き方〜アメリカ留学編」を買って一年後。


ついにLosAngelesの空港に降り立った!とは言っても英語の勉強なんてほとんどしていないし、アメリカには中学の時に数日団体で来た程度。出発前の成田空港で「とにかく、同じ人間なんだし、行けば何とかなるだろう」と自分自身に言い聞かせて踏み出したは良いものの、着いてみると想像以上に右も左も分からない。

まず、どうやって大学まで行けば良いのか?(アーバインという地にある)学校(UCアーバイン)に電話してみよう、とありったけの小銭を入れて電話かけると、電話口から機械の音声が…。「Please XXX …… XXX.」「???なんやコレ?」

最近ではどうか分からないが、その当時はまず相手先の電話番号を押し、音声で「●セント入れてください」と丁寧に説明をしてくれていた。結局、そのゆ〜っくりとした音声は、滞在1ヶ月経つまで一体何を言ってるのか聞き取れなかった(笑)。

そう言えば、行きの飛行機でもユニークな出来事があった。二十歳を越えたばかり、中学時代に一度乗って以来の国際線だったが、「やっぱり国際線ではアルコール飲まないとね!しかも飲み放題なんだろ〜。」と心の中で意気揚々としつつ、「’Beer’ Please!」と言ったところ…。
なんと出てきたのは「Milk!」なんと成人後初の国際線での飲み物が「牛のチチ!」だった。違うよ!ビールだよ!なんて言い返せないし…。

何とかバスを乗りついで、これから学ぶ大学にたどり着く。そんなにゆっくり喋らなくても分かるよ〜、と言いたくなるほどの超スローEnglishで入寮の説明を受け、いよいよ寮に入る。部屋自体は結構きれい。ベットも付いているし。シーツは紙みたいにぺらぺらで堅いけど、全然我慢出来る。そっか、ここで「5週間」暮らすんだなあ、と感慨に耽っていたが、早速問題が。

土曜の夜に入寮したが、「学内の食堂」が月曜まで空かない。アメリカという訳の分からない地にわざわざ来たんだから、英語の勉強も兼ねて誰かと食事にでも行こう、と1階のロビーに降りてみると。

そこに人の良さそうな’おじさん’が…。彼は名をセルジオといい、34歳、スペインから経営学の勉強に来ているとのこと。後に判明した正体は…、スペイン・マドリッドでは結構知られた会社の若経営者だった。

結局、彼とは最も親しい友人となり、「スペインの経営者&日本の若造」という文化も生活環境も180度違うヘンテコなコンビで2週間レンタカー借りて旅をするほどになるのだが。

とりあえず彼も食事相手を探していたようで、二人でピザ屋に行ったは良いものの、話題が全然かみ合わない。只でさえ英語も不自由なのに、思い切って話題にした「Soccer」という単語さえ理解してくれない!「Football」でやっと通じたが「FootballとSoccerは違うスポーツじゃないのか?」とまで言い出した…。

食後に「夜遊び好き」のスペイン人らしく、「Barに行ってワインを飲もうぜ!」と二件目に行く。その辺りの治安が良いのか悪いのかも知るよしも無く、「おいおい、アメリカ初日から銃とか出されて金取られたりは嫌だぞ…」と、かなりビビリつつ入店。つい昨日まで「白木屋」や「養老の滝」で生中イッキ飲みしていた若造が、アメリカのバーでスペイン人とワインを…?全くわけ分からん…。周りでは図体のデカいアメリカ人たちがワーワー騒いでいるし、「こんな光景、アメリカ映画で見たなあ…」と思いつつ、ピリピリしていてもちろん酔えなかった。

といった具合で、カリフォルニア上陸一日目はあっという間に、刺激的に過ぎていった。「今までの日常じゃこんな経験出来ないよな〜」と妙に感激しつつ、パリパリシーツのベットに入る。

*余談:話が変わりますが、もうじきスペインやフランスで本格的にAnything漢字Tシャツ販売が始まる予定です。セルジオのおっちゃんとは関係ないルートですが、これも何かの縁だなあ、とつくづく思う今日この頃。後日紹介させていただきますので、スペイン旅行の際には訪れて見てくださいね!私自身もショップはもちろん、彼の会社も訪ねて見たい。驚くだろうなあ〜。*
その後、ようやく慣れてきた4週間後に思いもよらない危機が訪れる…。寮には「5週間」住んでもいいという約束だったが、改装工事が早まる関係で「寮を出てくれ」との通達。それを知らなかったのは自分だけだったようで、すぐに不動産屋に向かうが「ご希望の家賃で即入れるところなんて無いよ。」とのこと。

結局1週間待てば入れる部屋があるとのことで、宿無し金無し「放浪の1週間」が始まった…。



◆第2回:乱万丈、放浪の1週間編(03年7月掲載)

日本のぬるま湯学生がアメリカに来て1ヶ月後、急きょ住む家を失ってしまった。全く予想していない展開。今余分なお金を使ってしまうと今後の生活に大きな影響が出る。

そんな中、知り合いから「教会に行ってみたら。」とのアドバイスが。

「そっか、教会という手があったか!日本でも’困ったときはお寺に行け’って聞いたことがあるような無いような…?。まあ誰かの家に普通に泊めてもらうより何かと面白そうだし…。」などと簡単に、かつ自分勝手に考えつつ、紹介された場所にバスを乗り継ぎ向かう。2回の乗り換えをクリアしやっと到着。歩道はボコボコでお世辞にもきれいな街とは言えない。

神父さんはこんなずうずうしい訪問者に対し、ちょっと不機嫌そうに、「働くのであれば、泊めてやっても良いよ。」と言ってくれる。他に選択肢の無い僕は、二つ返事で「何でもやります!」。


早速翌朝連れて行かれたのが「SOSセンター」という建物。不法入国の人などを支援しているボランティア施設だった。地元企業からの寄付などで運営しているとのこと。

アメリカというのは面白い国で、労働面で「不法入国者」がいるから成り立っているところがあり、厳密に言えば違法なんだけど、細かい事抜きに社会が受け入れている。

朝向かってみると、施設が開く前からたくさんの人だかりが。その多くがメキシコからの人たちで聞き慣れないスペイン語が飛び交っている。僕の仕事は彼らに対し、サンドイッチを作り配ることだった。朝から晩まで、ちょっと’乾き気味’のパンにハムやチーズを挟み、ある程度の量が出来たところで待合室に配りに行く。何本もの手が伸び、あっという間に無くなる。簡単に考えていたが、休憩はほとんど無くかなりきつい仕事。腹も減るし喉も渇く。

僕も休憩時間には自作の’パサパサ’サンドイッチを食べた。あまりうまくは無いが、食事を与えてくれるだけでもありがたい。飲み物は合成着色料たっぷりのすももジュース。如何にもアメリカらしい食事の組み合わせと空腹感・疲れが重なって不思議と笑いが出てくる。「自分はこんなところで何してるんだろう…」と感じつつ、妙にハイテンションだ。

そんな中、ベンツなどの高級車に乗って現われ、食事や寄付金を貰いに来る白人さん達もいる。生活保護を受けざるを得ない人らしいのだか、まず車を売るという発想が無いあたりが、いかにもアメリカ人らしい。

立ち仕事で疲れた夜は、無料の英会話教室に。狭くて暗い部屋で10人ほどのメキシカンたちとイスを並べMillion、Billonなど数字の言い方などを習う。彼らよりほんのちょっとだけ英語を話せたこともあり、途中から彼らに教える側の先生役にされていた。こんな奴に習うのも可愛そうだなあ、と思いつつ楽しく貴重な時間を過ごす。

その中の一人が「みんな川を渡ってアメリカへ入国して来るんだよ。俺も赤ん坊を抱いて家族で渡ったんだ。」と教えてくれた。数ヶ月前まで日本の一大学生としてBoringな毎日を送っていた僕には想像もつかない。あるのか無いのか分からない将来に向かって、わずかな希望と共に日々全力で生きてるんだなあ、と感じる。

そんなこんなで、家なき子状態の1週間が過ぎていった。

新しく借りたアパートは大学から自転車で15分のところ。一軒家の中で共同生活、となり部屋のアメリカ人は、彼女がよく遊びに来ていてうるさかった。テレビなど無いから、英語の勉強も兼ねてTargetというスーパーで6ドルのアメリカ製ラジオを買う。「日本人なのにMade in USAのラジオ買ってるぞ!」とよく笑われたなあ…。アメリカではラジオと言えば「Made in Japan」らしい…。

やっと落ち着ける部屋を持つと、アメリカでの食事に参っていたこともあり、念願の「炊飯器」を購入。バスで日系スーパー「ヤオハン」に行き、コメに合いそうな日本食のおかずを買う。早速新品炊飯器でコメを炊き、最初におかずにしたのがヤオハンで購入の缶詰「さんまの蒲焼」!日本では好んで買わないが、この時はホントうまかった!

日本食と言えば、ある日ちょっと離れたマーケット内に、牛丼「吉野家」の看板を見つけた。ほとんど日本の形式と同じだったが1点だけ大きな違いが…。細かいことなんて気にしないアメリカ人、日本のように「つゆだく」などと、「つゆの量」を調整する事はない。出て来たものはつゆだく×10倍。味噌汁の中にごはんを入れたような、ベチャベチャな牛丼だった。それでも当時の自分には贅沢品!

「炊飯器」はその後も大活躍、やはり日本人だなあとつくづく思う。中華ファーストフード店でテイクアウトしたものをおかずに、アメリカビールMillerを飲みながら、コメを食べては学校での疲れを取る毎日だった。

言葉にも徐々に慣れ、生活も安定してきたこともあり、アメリカの自動車免許を取ることを決める…。




◆第3回:ドライバーズライセンス取得編(03年8月掲載)

日本を出る前に’国際免許’と言われるものを取って行ったが、アメリカでの有効期限は60日。期限が切れたこともあり、「そろそろアメリカでも自動車免許を取ろう」と決心。友人に「どうやって取れば良いの?」とたずねてまわる。
アメリカでの身分証明書にあたる「SocialSecurity」を取得していたこともあり、比較的容易に手続き出来そうだ。

実際にとっかかり始めると、何ともアメリカらしいやり方に驚く。

まず、日本のように「教習所を卒業しなきゃ免許やらないよ」、といったつまらん事は言わない!つまり、若かりし頃誰もが経験する「なんでこんな理不尽に怒鳴られなきゃいけないんだよ!」といった、登校拒否して引きこもりたくなるほどの不必要な経験をしなくて良い。(ついでに書くと)あの教官の傲慢さは一体何なんだろう。’Anything教習所’とか作って、「伸び伸び楽しく免許が取れます!」といった新ビジネスをやろうか、と思うほど(笑)ひどいサービスのところ多いよなあ〜、と思う。サービス業なのにね…

アメリカでは何をしなきゃいけないかと言うと、たった2つだけ。「筆記」受けて、「一発路上試験」に合格するだけ。普通に取れれば「1万円以内」!これは日本で免許持っていたからではなく、みんなそう。16歳の少年少女達もそうやって「1万円以内」で取っていた。

おまけに「オートマ用免許」とか「マニュアル用免許」とか、そんなややこしい分類もない。「車は車だろう、自分で責任持ってやれよ」っていうアメリカらしい考えから来ているんじゃないかと思う。

DMVという試験場に行き、まずは筆記試験を受ける。行ってびっくりしたのは「日本語」の問題用紙があったこと。おいしいなあ、それなら「日本語」でやろう、と決める。開始時間など細かい決まりは全く無く、受付で問題をもらったら勝手にやるだけ。「こんな場所で始めて良いの?」と思うほどいろんな人が行き来している待合室に置かれた小さなテーブルで、アメリカ免許の日本語問題用紙を開く。

日本語なら楽勝じゃん!と意気揚々と始めたのは良いが、予期せぬ問題に当たってしまう。なんと、日本語訳の接続詞などがハチャメチャで、何を言いたいのかほとんど分からない!
「交差点は対向車に左が曲がろうとしていました…」、こんな感じ。最初はわざとそうしてる’ひっかけ問題’かなあ、と思っていたがどうやら本当に訳がおかしいらしい。答えを4択で選ぶのだが、危なっかしくて選べない。

開始後10分程で「このままやっても嫌な予感がするなあ…」と、再度受付に行き「すみませんが、英語に変えてください」と申し出る。「こいつ日本人のくせに何言ってんの?」という黒人受付女性の冷たい視線をグッと堪え、英語バージョンで開始。こっちのほうが断然分かりやすい〜!

その場で採点してもらい、第一段階、筆記試験は無事合格!

その後、日を改めて「路上試験」に向かう。車は各自それぞれが持ち込み。親と来ている少年少女が多い中、一足先に取得していたスペイン人セルジオのレンタカーで連れて行ってもらう。彼は取得までに2回落ちていたこともあり(笑)、教習所内の要領をすべてわきまえていて心強い!

かなり長い待ち時間を経て、いよいよ自分の番に。開始場所のゲートに向かうと車の助手席に50代ぐらいの白人男性教官が乗り込ん出来た。もちろん日本のように教官の足元にはアクセル・ブレーキなんてない。

「まずは右折し、まっすぐ進みなさい。」「一旦右に止まりなさい。」「まっすぐバックしてみなさい。」
強い日差しが照りつける中、初体験のカリフォルニア自動車免許試験は思いのほかスムーズに進んでいく。

「残りわずかだ、しっかり!」と言われつつ、信号で止まっていると、目の前の横断歩道を横切りながらこっちに向かって、日本で言う「ベロベロバー」のようなふざけたしぐさをしている変なおっちゃんが…。

よ〜く見ると、スペイン人のセルジオだった〜!彼は過去3回受けているから、どこを通り、どこが大事な場面かをよく知っている。そんな大事な所でこの日本人の若造を笑わせる為’だけ’に、先回りしてず〜と待っていたようだ!しかもあんな暑〜い中。

思わず吹きだしてしまい、「あれは僕の友達なんです…」と50代教官にわざわざ言い訳?しつつ、なんとか終了。晴れて免許取得!いやー、ホント面白い経験だった。

Californiaと大きく書かれたドライバーズライセンスには、こんがり日焼けして白い歯の見える、いかにもカリフォルニアで取った顔写真が載っていた。


その後、西海岸を出て、初の東海岸ニューヨークへ一人旅。まさかそこで殺されそうになるとは!?



◆第4回:「殺される!?ニューヨーク一人旅編」(03年9月掲載)

日本のへなちょこ一学生がアメリカ西海岸に来て半年、紆余曲折を経て英語もほとんど苦労しなくなり、現地の友人も出来たことで渡米当初とは比べ物にならないほど充実した日々を送っていた。

毎朝大学のそばにあるオープンカフェでエスプレッソとブルーベリーマフィンを買い朝食をとる。その時間にバイトしているカフェのお姉さんと一丁前に英語で会話し、教科書内の分からない単語を教えてもらったり、日本について教えたり、そんな余裕も出てきた…。

そんな中、日系スーパー’ヤオハン’で日本の価格の3倍もする「地球の歩き方〜ニューヨーク版」を購入し、ニューヨーク一人旅決行。大学の週末の休みを使って3泊4日の旅。日本では考えられないが、なんとロスとニューヨークでは時差が5時間もある!

それにしてもニューヨークは物価が高い。西海岸では十分きれいなモーテルに40ドルあれば泊まれたが、ニューヨークではほとんど100ドル以上。とりあえず、一人旅のバイブル「地球の歩き方」で見つけた一番安そうなホテルを目指し、空港からバスでマンハッタンへ向かう。

今でもはっきり覚えているが、夕日に照らされてバスの窓から見えるマンハッタンの景色は圧巻だった!近くで見れば恐ろしいほどビルが密集していてそこまできれいなものではないが、西海岸とは違い街や建物に歴史を感じさせてくれる。しかも気温も大違い。高層ビルの大都市には寒さが合っているなあ。

キングコングも登った’エンパイアステートビル’近くの安ホテルに泊まったが、これが悲劇の始まりだった…。
まず入り口で驚いたのが、ロビーが全面覆われていて従業員の顔が全く見えない。カギやお金を交換する小窓があり、まさにパチンコの景品交換所!このホテルは決して日本でいう’ラブホ’ではない(笑)。ランクは低いが普通のホテルでもこんな状況!どうなってるんだ、ニューヨーク。1泊60ドル、2泊以上すると一泊5ドル分のディスカウントがあるとのことで2泊分のホテル代を一度に払う。

こんな時は虫の知らせというか、嫌〜な前兆はあるもので…。
まず、テレビがきれいに映らない。嫌なところに来てしまったなあ、と思いつつ、バスルームでシャワーを出してみると黒い水が…。

室内で立て続けに起こる不快な出来事を紛らわそうと、夜のエンパイヤステートビルへ観光に。夜のニューヨークはスリル満点だったが、ビル内に入ってみると観光客も多い。展望台からの眺めは言葉に表せない!当時は貿易センタービルも悠々とそびえ立っていた…。
その後、ロシア系のおじさんがやっている小さなサンドイッチ店で’凍った’サンドイッチを購入、夕食代わりに食べ、例のホテルへ帰る。こんな時は寝るに限るが、時差の影響もあるのか全く寝付けない。

仕方なくオンボロテレビをつけると、メキシカンプロレス’ルチャリブレ’をスペイン語でやっている。ボーっとしつつ時間が過ぎていく。そろそろ寝ようと本格的に寝る準備に入ってたその時‥。

おそらく夜中の3時〜4時ぐらいだったと思うが、急にドアの鍵穴をカチャカチャと触っている小さな音が…。明らかにこの部屋を空けようとしている。どうやら強盗さんのようだ…。「え?まさか?」極度の緊張。

「ヤバイなあ、盗むだけかな?殺人犯かな?」「ニューヨークの初日にこんな汚い部屋で死にたくないよな〜」「万が一の惨事があっても俺が今ココにいること知ってる人なんて誰もいないから、当分日本には伝わらないよな〜」「まあまあ落ち着いて!って話せば分かってくれるかなあ、いやそんなにNYは甘くないよな〜」などと様々なことが頭を過ぎり、結局二つの選択肢に迷っている自分がいる。

一つは‥「ベットから飛び起きて、ドアのガギが反転しないように必死に押さえておこう」
でも、力づくで開けられてその前に俺が立っていたら撃たれるかもしなないしなあ〜。
二つめは‥「ドアが開いて金盗まれるぐらいなら、ひたすら寝てるフリしてじっとして置こう」
結局後者を選択、シーツのような薄〜い毛布を頭からかぶりひたすら祈る‥。すると、

「チクショー、この部屋は開かねえ‥。」というこれまた小さな声が‥。諦めて別の部屋に行ったのか、その場を立ち去ったようだ。

時間にするとわずか3分ほどだろうが、かなり長〜い時間だった。あーこのまま行くと殺されるのかな、という気持ちを初体験、これをクリア?してことで、「どんな街でもへっちゃらだい!」とその後の旅行に恐怖は無くなった。人生何事も経験だね!

2泊目はまたまた懲りずにそのホテルへ泊まる。が厳重に開かないよう工夫したこともあり?、2泊目は何も無くのんきにグッスリ寝ていた(笑)。

そんな忘れられない経験を経てアメリカ生活はさらに加速。あっという間に帰国の日を迎えることになる。



◆第5回:「帰国へ。結局何か見つかったの?編」(03年10月掲載)

人生は「旅」に例えられるが、その通りだと思う。「一人旅」は多くのことを教えてくれる。仲間3、4人で行くのもたまには良いが、ぜひみなさんも「一人」で旅に出て欲しい、必ず成長出来るから。

(そんな話をいつもAnything内でしているから、スタッフの一人「江口君」が先日サンフランシスコへ2週間の旅に出た。珍道中をこのコラムの続きとして書いてもらおうと思っている。)

ただ、一人旅で「結論」を求めようとしてもダメだった。悶々とした日本での大学生活から1年間のアメリカ一人旅へ「何か」を求めて出て行ったが、結局答えは見つからない。旅=人生なんだから見つからないものなんだと思う。それが分かったことは大きい。その当時出会った友人たちは今も「何か」を捜して今も日々頑張っている。

一つだけ言えることは、アメリカ一人旅をする前とした後では明らかに自分自身の何かが変わった。考え方、好奇心、行動力、思いやり、謙虚さ…。帰国後、周りの友人は「いいなあ、お前は…」と言っていたが「やる」か「やらない」かの差はとてつもなく大きい。もちろん国内でも良いし。一人で、誰も頼れない状況に身をおいて進んでいくことこそが面白い。それはきっと人生のいろいろな場面で大きな役に立つ。「時間が無い」「お金が無い」…言い訳ばかりしてたら何も始まらないし、これからの人生楽しみたいなら行動しなきゃいけない。

旅という非日常を味わうことで、その後にまた延々と続く日常を見直すことが出来る。日常を客観的に見つめる為に一人旅は必要なのかもしれない。

最後に…これから一人旅される方へ「南カリフォルニア」でのオススメの場所を。
■グランドキャニオン:ここは死ぬまでに一度ぜひ訪れて欲しい。僕はあまりに感動して2回も行ってしまった、さすがに2回目はあまり有り難味が無かったけど(笑)。ただ目の前に広がる大地を眺めているだけで何日も過ごすことが出来る。鉄道で行くも良いし、レンタカー借りて行くのもいい。レンタカーで「裏」にまわるとこれまた言葉に表せない風景が延々と続く。ココからちょっと足を伸ばすと「ザイオン国立公園」など他にも驚きの自然がいっぱい。

■サンタバーバラ:ロサンゼルスからレンタカーか鉄道で行ける小さな港&芸術の町。静かな海岸を朝散歩し、夜は海沿いのレストランで魚料理を食べる、サイコー!!安くてきれいなモーテルもたくさんあるし、ゆっくり時間を過ごせる。まずは一人で行って下見して(笑)、次回は彼女連れて行ってあげると良いと思う。

■ティワナ:サンディエゴからすぐ、国境沿いのメキシコの街。アメリカから一歩メキシコに入るとここまで雰囲気が変わるものなんだ、と強烈な印象を受ける。もちろん物価も違うし。出入国の簡単な審査などもあり、一人旅の醍醐味を味わえる。やっぱり本場の「タコス」はうまい。食べ物は「本場」「現地」で食べるに限る。タイ料理食べたければタイに行き、焼肉食べたければ韓国へ行こう!



いよいよ帰国の日、空港にはスペイン人のセルジオが見送りに来てくれた。最後までスペイン男爵VS日本男児のギャグの飛ばしあい。本当に面白い、味のあるおっちゃんだった。

単なる一大学生がワケの分からない地で生活し、何か自分でも分からない大きなものを掴んで帰って行く。帰ると早速夢から覚めるようにまた日常が始まる。

その後、大学卒業→就職→退社→Anything起業へと続き、今後も「旅」は続いていく…。




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